豊橋鉄道

車両


モ3700形
(0)

モ3300形
(0)

モ3100形
(1)

モ3200形
(3)

モ3500形
(4)

モ780形
(7)

モ800形
(1)

T1000形
(1)

路線

東田本線 駅前~赤岩口 4.8km 営業中
井原~運動公園前 0.6km 営業中
市民病院前~駅前 0.6km 廃止
柳生橋支線 新川~柳生橋 0.9km 廃止

 路線長は5.4km。駅前~競輪場前が複線で、全線が併用軌道である。
 軌間は1,067mm、架線電圧は600V。

運転

区間 距離 所要時間 運賃 運転間隔(日中)
駅前~赤岩口 4.8km 22分 150円 14分
駅前~運動公園前 4.7km 22分 150円 14分
駅前~競輪場前 3.6km 18分 150円

 駅前~井原は赤岩口行きと運動公園前行きが交互に運転されるため、日中は7分間隔となる。系統番号はないが、行先別に幕の色を変えている。駅前と競輪場前行きが黒地に白文字、赤岩口が赤字に白文字、運動公園前行きが緑地に白文字。

乗車方法 前乗り・後降りで、乗車時に運賃を支払う
運賃 均一制(150円)
競輪場前、井原で乗り換える場合に乗車時に申し出ると、乗換券が発行される。
manacaを使用して最初の乗車から90分以内に市内線と渥美線を乗り継ぐと、大人40円(小人20円)の乗り継ぎ割引が適用される。
フリー乗車券 市内線1日フリー乗車券(大人400円、小人200円)
駅前電停自販機、市内線営業所で発売
プリペイドカード 未導入
IC乗車券 manaca
※ manacaで運賃を支払う場合に、1ヶ月間の利用総額に応じてマイレージポイントが付く

歴史

 豊橋鉄道の軌道線である東田本線は、1924(大正13)年3月に設立された豊橋電気軌道が、1925年7月14日に豊橋駅~神明~札木十字路、神明~柳生橋を開業したことに始まる。7月21日には札木十字路から赤門前(現在の東八町)まで、12月25日に東田(現在の東田とは位置が異なる)まで延長し、予定していた路線を完成させる。
 1939年に名古屋鉄道の傘下に入る。1945年6月20日に空襲により全線が不通になるが、1946年2月までに全線を復旧させた。この年から都市復興計画がスタートし、経路の変更が始まった。1949年9月1日に豊橋交通へ社名変更、12月25日に市役所前~赤門前(現在の東八町)を複線化した。1950年は4月7日に東田坂上~東田を現在と同じルートに変更し、旧ルートは途中にある車庫までを車庫線として引き続き使用。9月17日に東田から競輪場前まで延長、10月20日に駅前~神明を広小路通りのルートから現在の駅大通りのルートに変更し、複線化した。1951年は、7月30日に赤門前(現在の東八町)~前畑を複線化、10月30日に神明~市役所前を大手通りのルートから現在の新大手通りのルートに変更し、複線化した。1952年は、3月19日に前畑~東田坂上を複線化、10月5日に駅前~市民病院前を新たに単線で開業、12月25日に駅前~市民病院前を複線化した。1954年7月22日に現在の豊橋鉄道に社名変更した。1960年6月1日に競輪場前~赤岩口を開業、赤岩口車庫を開設し、東田車庫と車庫線を廃止した。
 駅前~市民病院前は、1969年5月15日に豊橋駅改築に伴う交通混雑を理由に休止となり、完成後も復活せず1973年3月24日に廃止された。新川~柳生橋は乗客減により1976年3月7日に廃止となった。

 1982年7月31日に井原~運動公園前が開業した。
 センターポール化が行われ、1990年9月30日に駅前~新川、1995年7月27日に市役所前~東八町、1996年9月5日に新川~市役所前が完成した。
 1992年から夏季にビール電車の運転を始めた。1995年からは、一日乗車券を発売している。
 建設省の路面電車走行空間改築事業の適用第1号として、1998年2月19日に旧駅前電停から豊橋駅前のペデストリアンデッキの下まで150m延長した。
 1999年1月25日に回数券の割引率を約4%拡大し、車内での発売を開始して、利用しやすくしている。
 2005年3月31日に、駅前大通電停が開業した。
 2011(平成23)年2月11日に、ICカード「manaca」を導入した。manacaの導入に伴い、2012年2月10日をもって回数券の利用は終了となる。

将来

関連リソース

  • 書籍
    • 「ふるさと今昔 豊橋鉄道市内線を中心として」寺田文男