0両 現役車なし
諸元表
最大寸法(長さ×幅×高さ) | 12,300×2,210×3,400mm |
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定員(座席) | 96(22)人 |
自重 | 16.0t |
集電装置 | ビューゲル |
制御方式 | 直接抵抗制御 |
駆動方式 | 吊り掛け |
主電動機出力 | 60.0kw×2 |
台車 | D16 |
車号 | 冷房 | 製造年 | 製造所 | 現在 | 車齢(年) |
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6152 | なし | 1949 | 日本車輌製造 | 2001年12月廃車 | 52 |
6063
1949(昭和24)年製。最初は青山車庫に配置され、大久保車庫、南千住車庫と移った後、1949年9月からは神明町車庫に配置された。1970(昭和45)年12月に荒川車庫に移った後は、1978(昭和53)年4月27日まで荒川線で活躍した。廃車後、神明町電車営業所の跡地である東京都文京区本駒込四丁目の神明都電車庫跡公園で保存されている。
6080
廃車後、東京都北区王子一丁目の飛鳥山公園で保存されている。
6086
廃車後、個人で保存されていたが、荒川車庫に戻り、2008年9月27日に荒川線の日のイベントで公開された。2009年6月14日には、6000形撮影会が開催されて6086が展示された。
2010年2月頃に修復作業が行われ、塗装が塗り直されてきれいな姿となった。
2011年7月14日~9月10日に開催の都営交通100周年記念特別展「東京の交通100年博」にて展示された。
6152
荒川線のワンマン化後は、応急車となった。1986年9月にステップ改造、保安ブレーキ、放送装置を取り付けて営業用として復帰した。1988年9月には、MGを取り付け、室内灯を蛍光灯にし、ドアエンジンの撤去、台車をD16に履き替え等が、アルナ工機で行われた。
復帰後は、毎月第1・3日曜日に運転されていた。前照灯が1つだけであることから、一球さんの愛称が付けられた。
京福電鉄の正面衝突事故を受けて、事故車と同様のブレーキ構造だったため、2000年12月から営業運転を休止。ブレーキを改修するには約3,000万円掛かることから、残念ながら2001年12月20日に廃車された。
廃車後も荒川車庫に留置されていたが、荒川区に譲渡されて東京都荒川区西尾久六丁目の荒川区立あらかわ遊園に移され、2003年4月から公開、保存されている。
6159
廃車後、東京都町田市の幼稚園で保存されていたが、2017年に撤去された。
6162
廃車後、東京都豊島区南大塚二丁目の南大塚公園で保存されている。2016年11月に青帯から赤帯に塗り替えられた。
6175
廃車後、東京都三鷹市の新川南台団地で保存されていたが、撤去された。
6181
廃車後、静岡県熱海市の熱海城で保存されていたが、崖崩れの下敷きとなり、解体された。
6189
廃車後、静岡県熱海市の熱海城で保存されていたが、崖崩れの下敷きとなり、解体された。
6191
廃車後、東京都府中市矢崎町五丁目の府中市立郷土の森公園で保存されている。
6219
1950(昭和25)年製。1979年まで荒川線で活躍した。廃車後、埼玉県北葛飾郡杉戸町の東武動物公園で保存されていたが、解体された。