東急7200系

0両 現役車なし

 1967年にデビューした18m3扉のステンレスカー。ダイアモンドカットと呼ばれる前面が特徴。

支線用の7200系

 7200系が登場するまでの最新形式であった7000系は、営団日比谷線乗り入れ規格に合わせるため、車体幅は2,800mmで、全電動車方式だった。当時の東急線は、車体幅が地方私鉄規格(2,744mm)であったので7000系では入線できず、新たに7200系が開発されることになった。
 1967年に登場した7200系は、Mc-Tcの2両編成を基本としている。そのため、製造当初はデハ7200形とクハ7500形の2形式のみだった。7000系を基本に設計された。車体は、前面がダイアモンドカットと呼ばれる独特のデザインで、車体長18mの3扉、側窓は東急で初めての一枚下降窓が採用された。台車は、クハ7500形には7000系で採用されたパイオニア台車シリーズのPIII-707形であるが、デハ7200形には東急車輌独自設計のTS-802形で、この台車の構造が後に登場する8000系グループの台車に引き継がれていく。デハ7200形は主制御器、電動発電機、電動空気圧縮機、パンタグラフを装備している。電機品のメーカーは日立、東洋の2社で、登場当時はメーカー別に車号を分けず続き番号であったが、1967年12月に改番し、東洋電機製電機品装備車は50番台となった。主制御器は、日立製がMMC-HTR-10B形、東洋製がATR-H4110-764A形で、主電動機は110KW出力で日立製がHS-833Irb形、東洋製がTDK-841-A1形である。電動発電機は、東芝製のCLG-339形である。

最初は田園都市線で活躍

 最初は田園都市線に投入された。当時は現在の大井町線が田園都市線だった頃で、大井町から2連+2連の4連で走り、閑散時間帯には鷺沼で分割して2連で長津田へ向かっていた。

中間車が1969年に登場

 1969年に4連化用として中間車のデハ7300形、デハ7400形が登場した。デハ7300形は、主制御器とパンタグラフのみ、デハ7400形は主制御器、電動発電機、電動空気圧縮機、パンタグラフを装備している。

東急唯一のアルミ車編成7200F

 7200系が登場した年に、東急では異端児となったアルミ車の7200、7500が登場した。アルミ車体の試作車として製造され、デハ7200形は3.2t、クハ7500形は3.1t軽量化しているが、増備車は登場しなかった。登場時は無塗装であったが、後に銀色で塗装されている。

冷房車登場

 1972年に登場した7260Fは、新製時から冷房車で登場した。8000kcal/hのRPU-2204形を4台搭載している。

更新・冷房改造

 7260Fが登場した1972年にデハ7251~7254、クハ7551~7554の8両が東急車輌で冷房化された。その後は、しばらく冷房改造されず、1984年以降冷房化されていった。
 また、1990年からクハ7500形の台車が、クハ8000形の台車更新により余剰となったPIII-708形に交換された。
 1980・1981年に将来の3連化を考慮して、デハ7300形に電動発電機、空気圧縮機が取り付けられ、デハ7400形との差がなくなった。
 1991年、新玉川線新ATC化、田園都市・こどもの国線ATC化に伴い、電気検測車にATCを搭載しなければならなくなったが、当時の電気検測車であったデヤ3001にはそれを搭載する場所がなく、新しい電気検測車としてアルミ車のクハ7500が選ばれた。7200系は全車3連化されることとなっていたが、2両だけ余り、これまでこどもの国線用として運用されていたが、7000系を後継車とすることにし、クハ7500が電気検測車のデヤ7290、デハ7200が牽引車へ改造された。

7600系へ改造

 7200系は全車3両編成化されたが、電動車不足が発生したため、クハ7500形をVVVFインバータ制御による交流電動車の7600系に改造された。

10両を上田交通に譲渡

 1993年、1000系増備により余剰となった10両が、上田交通に譲渡された。

一部の編成で更新

 1996年、室内の化粧板張り替え工事が、7206Fと7201Fに施行された。同時に、クハ7500形の台車をサハ7950形から外したTS-835形に交換されている。

目蒲線の消滅とともに休車、豊橋へ

 目蒲線の運転系統変更に伴い、目蒲線の最終日となった2000年8月5日を最後に東急線での営業運転を終了した。
 その後、しばらく長津田検車区に留置されていたが、豊橋鉄道へ30両が譲渡されることになり、10・11月に3回に分けて甲種輸送された。その間の11月12日に、7200系の引退イベント「7200系ファイナルイベント」が実施され、前面の赤帯をはがして、多摩川~蒲田~五反田を走行して東急線に別れを告げた。

残る2両は十和田へ

 豊橋鉄道へ譲渡後も残っていた2両は、両運転台化改造されて、2002年に十和田観光電鉄に譲渡された。これにより、(事業用車を除く)7200系は形式消滅した。

諸元表

編成表

目蒲線

←目黒
7201F 7201-7212-7301-7501
7203F 7203-7256-7202-7502
7205F 7205-7552-7255-7505
7206F 7206-7208-7302-7508
7209F 7209-7259-7207-7507
7211F 7211-7204-7210-7504
7251F 7251-7351-7401-7554
7260F 7260-7451-7452-7560

※ 2000年8月時点

7201F


51-091レ 目黒 2000/8/2

7203F


56-111レ 奥沢 2000/6/17

7205F


51-092レ 西小山 2000/7/20

7206F


目黒 2000/8/3

7209F

53-132レ 奥沢 2000/4/16

7211F


56-142レ 武蔵小山~不動前 2000/4/16

7251F


56-191レ 目黒 2000/8/4

7260F

53-151レ 目黑 2000/7/8

御嶽山~雪が谷大塚 2000/11/12 さよなら運転

石川台 2000/11/12 さよなら運転

雪が谷検車区 2000/11/12

雪が谷検車区 2000/11/12