西日本鉄道

歴史

 西日本鉄道(西鉄)は、かつて北九州線、福岡市内線、大牟田市内線、福島線の4路線を営業していたが、すべて廃止された。

北九州線

 西鉄北九州線は、1911年6月5日に九州電気軌道が東本町2丁目(門司)~大蔵橋(八幡)を開業したことに始まる。この九州電気軌道は、1905年に設立された門司電気鉄道と1906年に設立された八幡馬車鉄道が、それぞれ申請した軌道敷設区間が隣接することから、当局の要請で1908年12月17日に合併してできた。1929年までに門司~折尾・戸畑を開業し、計画した全路線を完成させた。1942年2月に小倉~北方間の小倉電気鉄道を合併した。
 そして、1942年9月22日に他の都市と同様交通統制により、九州鉄道(大牟田線系統)、博多湾鉄道汽船(宮地岳線、香椎線)、筑前参宮鉄道(勝田線)、福博電車(福岡市内線)の4社と合併し、西日本鉄道が誕生した。

 北九州線というのは、旧九州電気軌道の所有した路線である。本線門司~折尾、戸畑線大門~戸畑、枝光線中央町~幸町、北方線魚町~北方の4路線の総称が北九州線である。北方線の軌間は1067mmだったので、これを除いた3路線を北九州線と呼ぶこともある。
 九州電気軌道の時代から計画されていた黒崎~直方~福岡間の路線は1950年に認可されて、西鉄の100%出資の筑豊電気鉄道により建設された。
 北九州線は西鉄の収入の中で、トップであった。だが、国鉄鹿児島本線が1961年に電化されると利用客は減り続け、1972年には大牟田線にトップの座を譲った。モータリゼーションやバス・国鉄との競争、製鉄会社の生産量減少等により、利用客は減る一方となった。

 とうとう、1980年11月に北方線が廃止された。1985年10月20日には、本線の一部の門司~砂津と戸畑線、枝光線が廃止された。さらに1992年10月24日砂津~黒崎駅前間が廃止され、残るは現存する黒崎駅前~折尾間のみとなった。
 1995年4月1日から運行業務を筑豊電気鉄道に委託した。
 1999年12月22日に黒崎駅西地区の再開発により、黒崎駅前電停は、元の位置とJR線の間に新設された電停に切り替えられた。この電停は、再開発ビルの1階部分に設置されている。軌道の移設により、100m短くなり、黒崎車庫前電停が廃止されている。
 2000年に黒崎駅前~折尾の廃止が決定され、11月26日に廃止される予定になった。なお、筑豊電鉄が乗り入れている黒崎駅前~熊西(0.6km)は、西鉄が第三種鉄道事業者として、筑豊電鉄に施設を貸して、筑鉄が第二種鉄道事業者として運行が継続されている。
 2000年11月26日に予定通り廃止されて、西鉄の軌道線はすべて消滅した。

路線

 北九州線で最後に残った路線は、下記のとおり。

本線黒崎駅前~折尾5.0km廃止

 全線複線の専用軌道である。
 軌間は1,435mm、架線電圧は600V。

運転

 北九州線で最後に残った路線については、下記のとおり。

黒崎駅前~折尾

 黒崎駅前~折尾の列車のみ。黒崎駅前~熊西は、筑豊電鉄の車両が乗り入れている。
 運転間隔は、朝ラッシュ時は6分、日中は18分、夕ラッシュ時は10分間隔である。
 全車ワンマンカー、後乗り前降りで、降車時に運賃を払う。

車両


600形
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