名古屋鉄道

車両

路線

岐阜市内線岐阜駅前~忠節3.7km複線併用軌道と専用軌道廃止
徹明町~長良北町廃止
美濃町線徹明町~関18.8km単線と複線併用軌道と専用軌道廃止
新関~美濃単線併用軌道と専用軌道廃止
田神線田神~競輪場前1.4km単線併用軌道と専用軌道廃止

3路線、23.9km。美濃町線は徹明町から野一色の手前まで、上芥見の前後、白金~小屋名の一部が併用軌道で、残りが専用軌道、徹明町~梅林のみ複線となっていた。田神線は競輪場前から市ノ坪の途中まで併用軌道で、残りは専用軌道となったいた。
 軌間は1,067mm、架線電圧は600V。ただし、田神線の田神~市ノ坪間で1,500Vになり、名務原線の田神駅へ続いていた。

運転

系統区間距離所要時間運賃運転間隔(朝ラッシュ)運転間隔(日中)
岐阜市内線岐阜駅前・新岐阜駅前~忠節
揖斐線直通急行岐阜駅前・新岐阜駅前~黒野
揖斐線直通岐阜駅前・新岐阜駅前~黒野
美濃町線徹明町~日野橋
美濃町線新岐阜~関
美濃町線新岐阜~新関

歴史

 名鉄岐阜市内・美濃町・田神線は、美濃電気軌道が1911年2月11日に岐阜駅前~今小町(後の大学病院前付近)1.4km、神田町(後の柳ヶ瀬)~ 上有知(かみうち) (後の美濃)24.9kmを開業したことに始まる。1915年11月には、長良北町まで延長する。美濃電気軌道は長良軽便鉄道、岐北軽便鉄道を合併していき、1910年代に現在の路線網のほとんどを完成させた。1930年8月に初代の名古屋鉄道と合併し、名岐鉄道と改称。1935年には愛知電気鉄道と合併し、現在まで続く名古屋鉄道となった。
 1948年8月に忠節橋(後の早田)へ延長。1954年12月には、揖斐線の路線変更により、忠節駅で接続するようになった。そして1953年8月に、1944年12月以来休止していた鏡島線の森屋~弘法口が復活、翌年の9月には弘法口~鏡島を復活し、さらに、鏡島~合渡橋(後の西鏡島)を延長した。
 しかし、1955年以降自動車交通の進展により、1960年4月に高富線、1964年10月に鏡島線が廃止された。
 1967年12月から岐阜市内線~揖斐線の直通急行運転を開始した。
 鏡島線廃止以降は、路線の延長・廃止は行われていなかったが、1988年5月に徹明町~長良北町間が廃止された。

 1992年6月に、名鉄は慢性的な赤字を理由に、美濃町線新関~美濃間の廃止を地元に申し入れた。美濃町線対策委員会は、「廃止もやむなし」とし、廃止されるのは確実となってしまった。廃止に際し、新関駅と長良川鉄道の関駅を連絡することが条件となり、用地買収を行って1999年3月末を目標に関駅へ延長し、廃止される計画になった。
 1997年には岐阜市内線と揖斐線の直通用として、モ780形が登場した。
 1999年3月31日限りで新関~美濃が廃止された。翌日、新関~関が開業し、長良川鉄道との接続を改善した。
 1999年末に野一色~下芥見が自動信号化された。

 2000年7月に美濃町線用として、部分低床車のモ800形が登場した。

 2003年に全線廃止の方向で協議が進められ、社会実験も行われたが、岐阜市からの支援は受けられず、2005年3月31日の営業を最後に、4月1日に岐阜市内線、美濃町線、田神線が廃止されて、全線が廃止となった。